susunshunのお粗末な記録

お粗末に丁寧に生きる

いろんなことに口を挟まなくなった話

susunshun.hatenablog.com これの続編

最近いろんなことに口を挟まなくなったので雑メモ

4月から担当するプロダクトが変わったことによる環境の変化がデカいと思っている。

どうせコントロールできんという話

これまでは割と若めのプロダクトを担当することが多く、携わるステークホルダー全員の顔と名前はわかる規模感であることが多かった。 なのである程度全体を把握し、各所に入り込んでいく動きが可能だったのかと思っている。

一方で、今回は歴史あるプロダクトということもありその運営に携わるステークホルダーは膨大で、エンジニアに絞っても自分が認識していない人がきっと多くいるのであろう。

そういう規模感のプロダクトなのでビジネス・システム・組織・プロセス etc.... 全体を解像度高く理解することはとてもじゃないができない。 もともと自分がマイクロマネジメント気味に動いてしまうことに課題感を持っていたと共に、どうせ全体をコントロールできないのであれば任せたほうが健全である、思えるようになったのである。裏を返せば、パワーを注ぐ領域を見定めてフォーカスしないと何も成せないということがわかった。 (ただし現実世界に目を向けて見ると、今はあまりにも任せすぎというか、情報を獲得してとりあえず知っておくということすら充分にできておらず、口を挟まないどころかほとんど喋らないおじさんになってしまっている気がするのでそれはそれで良くない。口を挟まないことと知ろうとしないということは別なので)

何かヤバかったらなんとかするという話

環境の変化がフックとなり、良い意味でマイクロマネジメントに対するあきらめが自然と出てきた。 それとは別に「何かヤバかったら最終的に自分が入って鎮火すればよい」という覚悟というべきか、根拠の無い自信というべきか、そのような感情も持つようになった。今の会社に入ってから時を経てそこそこ経験を詰んできたからなのか、いまのチームで自分の年次が上から数えたほうが早いからなのか、要因は正直分からん。そしてほんとにヤバかったら鎮火できるかも正直なところ分からん。

ともかくヤバそうになってから初めてヘルプに入ればよく、それまでは自由に立ち回ってもらったほうが、成功したらハッピー、失敗してもそれはそれでリアルな経験を詰むことができたのでハッピー、自分も相対的に可処分時間や脳内リソースも空くしハッピー、何も悪いことはないじゃんと。

ただし「ヤバそう」の線引きは重要で、例えばプロダクトに重大なインパクトを与えるようなトラブルが発生してから入るのではタイミングが遅い。しきい値までは完全に任せつつも、それを超えたら積極的に入り込んでいくことが大事だ。(会社でこの類の話をした際に「ガードレールを敷く」という表現が出てきて良さそうと感じた

皆が一段視座を上げるという話

だんだん冒頭と関係無い話になってくるが、組織ないしチームに携わる人間が全員一段視座を上げて生活している状態が理想なのではと思うようになった。メンバーならリーダーの視座を、リーダーならマネージャーの視座をというような状態だ。 それぞれが一段視座を上げることで相互理解が促進し、戦略の目線合わせが円滑に進むようになるのではと思ったりしている。また、リーダーやマネージャーのやる仕事について、彼らがやらねばならないという仕事はそこまで多くないでは?と仮説を置いており、権限委譲もしやすくなるのではと。 (メンバーがマネージャーの視座を、までいくとそれぞれの果たすべき責任・役割もある中で、ノイズが大きくなってしまうのではという心配はあるが、どうなんだろうな) 他にもキャリア・組織運営系の本や記事を漁れば「視座上げること」のメリットは無限に出てくるだろう。

いろんなことに口を挟まなくなったことで、リーダーっぽい仕事をしている自分は、マネージャーの視座を持とうという気持ちになり、彼らがどういう仕事にどういう脳みそを使い、どういうアウトプットを出すのかを主体的に考えるようになった。 これまでは、マネージャーの仕事はマネージャーのものなので任せるわ!!と思っていた節がある。

人に任せることが苦手だった自分が、なんだか最近任せられるようになってきたぞ!という話であった

余談

まだ任せる / 自分でやるの調整が下手で、「これは俺がやるやろ」と周りの皆が思ってそうなトピックに対して、これまでは「おっ、やっちゃうぞ!!!」と脳停止でなっていたとこをグッと堪えて「俺やらんからな!!」と明言したあとに、「やっぱり俺がやったほうがよいのではないか...むーん....」と悩んだりすることはあり、俺達の戦いはこれからだ!!!というお気持ちであります